蒼穹のファフナー 最終話

蒼穹のファフナー。
けっこう特殊な造りとなってしまって、ある意味印象深い作品となりました。

正直ここまでノーマルに終わるとは思ってもみませんでしたが、
大変よかったです。それだけは確かでした。求めていました。

前半30分は捨て去っていました。かなり潔く、淡々と。

フェストゥムが痛みを知った時、,乙姫ちゃんが怖さに触れたとき、
総士君がすべてを助けてくれました。彼の自己犠牲。もはや感服です。
彼に自己が存在するとしたならば、その自己はすべてに他人から得たもの、
100%それは他人のために、存在するものでしかなかったのではないだろか。

真矢ちゃんと一騎君、そして総士君で、最後の光を。
真矢ちゃんの笑顔。最後にまた見れて、それだけでもう感無量。ありがとう!!

生と死は等価値な存在。
存在とは、生きること。生きるということはそこにいるということ。
自分が自分であるということ、他人の中の自分があること、
立っていること、笑うこと、泣くこと、悲しむこと、喜ぶこと。

すべてを当たり前のように理解し、死もまた、そこに存在している。
死を理解して、生を。

「あなたはそこにいますか?」
彼らは”存在”を最後まで求めていました。

彼らフェストムの進化は人間の比ではなく、理解しようとし始めたときから、始まりを見せていたけど、
彼らは別な方向に進み、別のあるべきしてあった一つの可能性を迎えました。

それは人間を拒んだのではなくて、たぶん人間が完成形ではなかったからじゃないかなぁ。
人間自身も自分たちのことを理解していない。
そこに存在し続けるには常に”理解しよう”という意思が必須で"理解し終える"ことはない。
竜宮島のミールは"そのことを"理解できたんじゃないかなぁ。
生と死の到達点。存在と無の、反しているかのように見えるふたつが、ひとつであるということ。

生命の循環とは、ただ同じことを繰り返すことではなくて、
そこには僅かながらの変化、相違が継承され、それは進化となることもある。
その積み重ねこそが、繰り返しとは違う点で、生命が尊いということであり、輝きであり、
それらすべては希望が、育んでくれる。

無へ還ろうとした一騎と総士を助けたのは春日井君でした。

「飛べるさ、俺とお前なら」

総士君は還りました。いつかまたここにくることを約束して。


限りなく物語のスタイルも過去に還っているかのごとくの、ノーマルさ、ベーシックさ。
でも後に振り返ればきっとこれでよかったと、思える作品はこういう形が多いんじゃないかなぁ。

大きく遠回りをして戻ってきた感じ。その道程で彼らが得たもの、
是非次に生かしていただければと思います。願います。結構大きかったと思うんだけど。
目はどうであれ、注目も集めただろうし、それだけのスタッフを集めたと自負していたのなら尚更。

何よりよかったことは真矢ちゃんの笑顔が見れたこと(^-^)
すべてを整理するにはまだ時間がかかるかもだけど、それでも最後に見せてくれた笑顔は、
何者にも代えられない、希望そのものと感じられました(^_^.)

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